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優秀な人材を確保するには?石田三成に学ぶ企業の利益になる採用方法

  ブランディング営業体制 吉澤由美子 SPECIAL
吉澤由美子 SPECIAL

ブランディング営業体制コンサルタント

H&Cブランディングマネジメント株式会社 代表取締役 吉澤由美子

中小企業のための、「ブランディング営業体制」を構築するコンサルタント。営業スタッフのみならず、全社をあげて、企業価値をしっかり守り、価格競争をせずに確実に売れていく体制づくりを指導する。

「なぜ、うちには優秀な人材が集まらないのだろう」 

このような悩みをお持ちの経営者は昨今増えてきています。企業にとって人材は経営の要ですから、どの会社も優秀な人材を求めて止みません。それでも、中々集まらないのが優秀な人材です。 

現代だけでなく、いつの時代も優秀な人材確保は重要な課題です。戦国時代も例外ではありません。石田三成をご存じでしょうか。豊臣秀吉の家臣で寺の小坊主から大大名に上り詰めた戦国武将です。彼はある人物を採用したころから、一気に出世を果たしました。この秘密は何でしょうか。 

今回は石田三成の優秀な人材確保の方法から、現代に通じるものがないか探っていきましょう。

 

■ウィークポイントを補う人材を確保

石田三成は頭脳明晰であるものの、戦に関してはあまり上手ではなかったそうです。ですから、この欠点を補う優秀な武将が必要でした。そこで目を付けたのが、島左近(島清興)です。彼は元々大和国の畠山氏に仕えていた武将。その後、何度か主君を変えていますが、いずれも優秀な成績を残しています。 

とても優秀な人材ですから、石田三成以外にも採用したい武将は数多くいました。様々な条件が出される中、最終的に島左近が選んだのは石田三成だったのです。 

これに驚いた石田三成の主君の豊臣秀吉は、以下のような歌を詠んだそうです。

治部少に 過ぎたるものが 二つある

島左近(しまのさこん)に 佐和山の城 

治部少とは石田三成の冠位「従五位下治部少輔」が由来の呼び名。三成にはもったいないものが2つあるという歌です。出典は江戸時代中期に成立した『古今武家盛衰記』ですが、秀吉が詠んだものと言い伝えられています。 

秀吉が思わず歌まで詠んでしまうほどの優秀な人材を、石田三成はどのようにして獲得したのでしょうか。

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■優秀な人材には破格の給与をもってスカウト

島左近は優秀な人材です。彼を召し抱えたい武将は、どこも高額の禄(給与)を提示したでしょう。 

そのような中、石田三成が提示した禄は2万石。この当時、石田三成の禄は4万石です。この半分の2万石を島左近に支払うと提示したのです。高額である以上に、主君となる石田三成と同等の力量があると見込まれての金額です。破格どころの話じゃありません。これに胸を打たれた島左近は、ついに石田三成の家臣になることを決心したのです。この逸話は『君臣禄を分かつ』と呼ばれています。 

高額の禄を島左近に払いますから、他の人材は採用できません。それでも石田三成は無能な人物を多く召し抱えるよりも、島左近一人が欲しかったのです。たった一人であっても優秀な人材がいれば、組織が変わると確信していた。その確信はすぐに実現をし、過ぎたるもののもう1つ佐和山城主となるのです。 

実は石田三成、この方法でのスカウトは初めてではありません。豊臣秀吉の小姓時代に、知行400石全てをなげうって渡辺新之丞を召し抱えています。石田三成は若い頃から優秀な人材には、破格の給与が必要だと知っていたのです。この時の体験が島左近獲得に生かされたのでしょう。

 

■優秀な人材に高額の給与を払う理由

戦国時代、大名に召し抱えられたといっても贅沢な生活が送られるわけではありませんでした。豊臣秀吉が行った刀狩りにより兵農分離が進んだ分、下級武士は農作業ができずとことん貧乏になっていったのです。 

このような状況の中、生活を不安に思わず安心して働いてもらうには高額の禄を支払うしかありません。下手に副業などされて仕事が疎かになっては困りますから。当時、よくあったのが農繁期に兵が集まらないというものです。これを避けるためにも専業の侍が必要だったのです。 

人材が持つ力を存分に発揮できる土壌を整えて採用すると、他家から引き抜きのオファーがあったとしても給与では心が動かなくなります。引き抜かれそうになっても、現時点では働きやすい環境があり、自分の能力を信じてくれる主君がいる。この上ない最高の労働環境ですから他家に移る理由がありません。事実、島左近も徳川家康から引き抜きのオファーがあったそうですが断っています。 

石田三成は働く者に対し礼を尽くしていた武将です。礼を尽くされた家臣は、自身の働きで恩を返す。これにより石田三成は主君の身の回りの世話をする小姓から、大大名に出世をしていったのです。

 

■三成の敗因はプロモーション不足

優秀な人材を採用した石田三成ですが、関ケ原の合戦では徳川家康に敗れています。敗因はいくつか挙げられますが、一番は根回し不足です。プロモーションが足りなかった。彼の理想とする国造りは徳川家康に近いものがありましたが、それを多くの人と共有ができなかったのです。一方、徳川家康はビジョンを多くの人に見せ、多くの武将を味方につけました。 

私たち現代人が歴史から多く学べるのは、敗因の方にあります。なぜ負けてしまったのかを分析し、今に生かす。その点からも石田三成は素晴らしい人物です。 

あなたは今、自社を冷静に分析できているでしょうか。もし、不安になられたら私に声をかけてやってください。あなたの会社の島左近となり得る人物を獲得するには、どのような方法が良いかも一緒に考えさせていただきます。 

分析をし、様々なことを実行すると、あなたの会社の天下分け目の関ヶ原は西軍が勝つかも知れませんよ。 

最後まで読んでくださり有難うございました。あなたの一日が素晴らしいものでありますように。

 

【ブランディング営業】脱・お願い営業を実現する経営視点
吉澤由美子

ブランディング営業体制コンサルタント

H&Cブランディングマネジメント株式会社代表取締役

吉澤由美子

執筆者のWebサイトはこちら http://www.hc-bm.com/

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