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毛利元就は地方中小企業のお手本!課題を可視化しブレない経営体制に

  ブランディング営業体制 吉澤由美子 SPECIAL
吉澤由美子 SPECIAL

ブランディング営業体制コンサルタント

H&Cブランディングマネジメント株式会社 代表取締役 吉澤由美子

中小企業のための、「ブランディング営業体制」を構築するコンサルタント。営業スタッフのみならず、全社をあげて、企業価値をしっかり守り、価格競争をせずに確実に売れていく体制づくりを指導する。

「うちは地方だから将来が不安でたまらない」 

日本は現在、一極集中状態です。お金も人材も東京に集まり、地方にはお金も人材も回ってきていません。特に地方中小企業の場合、死活問題です。 

このような時、昔の人はどのような知恵を絞ったのでしょうか。参考になるのが、毛利元就です。彼は安芸国の西端の小さな領主の子供として誕生しましたが、のちには中国地方全域を支配するまで勢力を拡大した戦国武将です。 

彼一代だけが家を大きくしたのではなく、現代までも毛利家は名家として存続しています。この理由に毛利元就が残したあるものが関係しています。 

今回は毛利元就から地方中小企業のあり方についてお話していきましょう。

 

■三本の矢で有名な毛利元就が遺したもの

毛利元就ですぐ頭に浮かぶのは、三本の矢の逸話ではないでしょうか。毛利元就がいまわの際、三人の息子を枕元に呼び、一本の矢ならたやすく折れてしまうが三本を束にすればやすやす折れることはないと語ったというものです。 

実はこれ、後世の創作だと言われています。毛利元就の臨終の際にはすでに長男の隆元は他界しており、三本の矢の逸話の状況にはなれなかったとのことです。 

ですが、近いことは書き残しています。それは元就60歳の時に書いた『三子教訓状』です。実に巻紙3メートルに及ぶ大作で、ここには14条に亘って毛利家を盛り立てるためにして欲しいこと、やらなくてはならないことが書き連ねてあります。 

これをしなくてはならなかった背景があります。毛利家は他家と少し違い、毛利両川体制を敷いています。吉川家に次男の元春を、小早川家に三男の隆景を養子に出し、結びつきを強化したのです。ただし、戦後の世ですから何が起きるか分からないもの。分からないからこそ、大切にして欲しいことがあると伝えたかったのです。 

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■気になる『三子教訓状』の中身は?

さて気になる『三子教訓状』の中身ですが、勢力を拡大せよなどといった文言はありません。書いてあるのは、毛利家の維持についてのみです。長男で毛利家を継いだ隆元を中心に皆で一致団結するようにと書き記してあります。成人した息子たちだけでなく、他家に嫁いだ娘やまだ幼い息子たちにも心を砕いています。 

これは身内での諍いが崩壊の第一歩だと、元就が経験上知っていたからです。元就はかつて異母弟に謀反を起こされそうになったことがあり、後に彼を粛清しています。もしこれが大きな謀反になっていたなら、現在の毛利家はありません。獅子身中の虫を飼わぬよう、戒めるためにもこれを書き残す必要があったのです。 

現代でもよく聞く話ですね。同族経営の会社で役員報酬を巡って兄弟が骨肉の争いを起こし、それが元で会社は解散や倒産など憂き目にあうことも。そうと分かっていても、金銭や権力が絡んでくると、すぐに仲良くとはいくものではありません。 

ですから、元就は『三子教訓状』を三人の息子に送った後に追加で書状を送っています。内容は「兄弟仲が悪くなると毛利家は滅亡する」と念押しするものです。それだけ元就はお家騒動を恐れていたのです。そして、一致団結こそが家を盛り立て維持する為に必要だと確信していたのです。 

 

■『三子教訓状』だけでなく『百万一心』も

元就は息子たちに『三子教訓状』を託し、民衆には『百万一心』を託しました。元就が築城した安芸郡山城跡から発掘された石碑に遺されています。人柱代わりにされたのではないかといわれているものです。 

『百万一心』は縦書きにすると「一日一力一心」とも読めます。これは皆が一致団結すれば何事も成し得るという意味です。ここでも一致団結が出てきます。元就がどれだけ一致団結にこだわっていたのかがよく分かります。 

元就が活躍したのは室町時代後期から戦国時代中期です。下剋上が盛んで、力を持つものが弱いものを征していた時代です。元就は元々小国の領主で、戦で領地を拡大した武将ではありませんから、力による脅威に対して敏感だった筈です。そんな彼が対抗出来得る手段が「一致団結」だったと考えられます。 

皆が一様に一つの目的に向けまい進する。これ以上の武器はなかったのです。そして、明確な目的がある人材ほど強いということも分かっていたのです。だからこそ、石碑を建ててでも民衆に周知する必要があったのです。 

裏を返せば、一致団結ができていないことが課題だったことも考えられます。だからこそ、課題を可視化するためにも石碑を建てた可能性もありますね。 

 

■毛利元就は目的を書き残した

毛利元就が毛利家のためにした2つのことをお話しました。現代まで毛利家が栄えているのは、息子たちには『三子教訓状』を民衆には『百万一心』を遺したことが大きな要因であるのは間違いありません。分かりやすい形で目的を示し、その目的を遂行するためにして欲しいことを示しています。 

あなたは会社の目的を分かりやすい形にしているでしょうか? 

地方で生き残るには、強い目的が必要です。そして、その目的を分かりやすい形にする必要もあります。これがあれば、役員従業員が一致団結をして利益に向け進むことが可能になります。 

もし、一人で形にするのが難しいようなら私に声をかけてやってください。あなたの『三子教訓状』を一緒にしたためます。大丈夫、私がいます。安心してください。 

最後まで読んでくださり有難うございました。

あなたの一日が素晴らしいものでありますように。

 

【ブランディング営業】脱・お願い営業を実現する経営視点
吉澤由美子

ブランディング営業体制コンサルタント

H&Cブランディングマネジメント株式会社代表取締役

吉澤由美子

執筆者のWebサイトはこちら http://www.hc-bm.com/

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