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「五十肩」に想う

SPECIAL

住宅・工務店コンサルタント

株式会社 家づくりの玉手箱

代表取締役 

住宅・工務店コンサルタント 。規格住宅を高付加価値化させ、選ばれる工務店となる独自の展開手法「シンボルハウス戦略」を指導する第一人者。
営業マンとして自分が欲しいと思わない住まいをお客様にお勧めする仕事に疑問を持ち、ある工務店でどうしても家を建てたくて転職、鹿児島へ 。15年間で173棟の住まいづくりをすまい手目線で担当。そこから編み出された、選ばれる工務店となる具体戦略を、悩める中小住宅会社ごとに実務指導中。

「スマホキャッチ」で発症

 

もう1年以上前のことです。お風呂にスマホを持って入って音楽を聴いていました。湯船につかりながら好きな音楽を楽しむのが日課になっていました。

お風呂の天井にはスピーカーが仕込んであって、リビングのアンプからの色々な音源を鳴らせるようにしてあるのですが、お風呂の中からは曲の変更や音量調節などはできません。

天井のスピーカーで鳴らすと音質はいいのですが、その時の気分で違う曲を探したり、音量を調節したりできるので、最近ではスマホを持ち込むようになっていました。

いつものようにスマホ持参でお風呂に入っていました。曲を変えようとスマホに腕を伸ばした時に、湯船に落としかけてしまいました。とっさに腕を伸ばし、すんでのところでキャッチできました。われながら、なかなかの反応速度です。

 

↑いつもここにスマホを置いているのです。

 

しかし、その時にクキッと肩に軽い違和感を感じたのです。それが私の「五十肩」のはじまりでした。最近のスマホは防水仕様なので、なにも慌ててキャッチしなくてもよかったのですが・・・

 

「通院」で悪化

 

2〜3か月放置していましたが、肩の違和感はおさまりませんでした。「ひょっとしてこれが五十肩?」と思い、大きな病院の整形外科に診察に行きます。レントゲン・MRIと撮影してもらい、通院+リハビリという事に。主治医の先生に「五十肩」ですか?と尋ねてみると、あっさりと「そうですね」という反応でした。

 

↑狭くてうるさいMRI

 

診察とともにヒアルロン酸とかステロイドとか注射してもらったりしましたが、あまり効いてる感じはしませんでした。主治医の先生曰く「メインはリハビリですから」ということで、毎回リハビリもセットで予約しました。

担当理学療法士のA君は若いけど既婚です。お父さんのススメで実家を建ててもらった会社で家も建てたばかりです。奥さんは看護師さんで休日は月1回ぐらいしか合わないそうでした。お互い休みの日は好きに過ごして英気を養っているということでした。

将来別の仕事に就くことも考えている様子で、病院の仕事以外のことにもすごく興味があるようでした。私の転職歴など興味津々で「ねほりんぱほりん」のように次々突っ込んで聞いてくるのでした。「資格取るんだったらどんなのが役に立ちそうですか?」とか「異業種の転職ってどんな情報収集すればいいんですかね?」「吉岡さんのときはどうされてたんですか?」といった調子で聞いてくるのです。既に何回かは職場である病院もかわってきたそうです。

リハビリは毎回45〜50分ぐらいでしたが、私が痛がっているとき以外はずっとふたりでしゃべっていました。私から見ると娘と同じような年代ですから、息子みたいな感じです。調子良くあれこれと話していたのでした。

半年ほど、2週間おきに通院して、主治医の先生に診察してもらってからリハビリ室でA君と喋っているのは続きもののドラマみたいで面白かったのですが、肝心の肩のほうはいっこうに良くなりません。良くなるどころか、初診のときよりかなり痛むようになっていました。

毎回、通院後は痛くなっていましたので、素人ながら「リハビリがハードすぎるんちゃうん?」と思っていました。でも、狭くなった可動域が固まらないようにと、毎回身を任せていました。会話が途切れるぐらい痛かったですが「多少の痛みは我慢してがんばって動かさないと」とがんばったのです。

 

「紹介状」もらってふと思う

 

2週間おきにそんなことをやっていたら、ある診察の日に主治医の先生から「肩専門の先生のところ行ってみます?」と、突然提案がありました。断る理由はありません。紹介状と画像をいただいて帰ることになりました。

先生からは「今日のリハビリどうします?あたらしい病院でもされるでしょうからキャンセルしときます?」と言われたのです。「半年通ってお世話になったのでご挨拶もかねて行ってきます」とその時は答えたましたが、ちょっと先生の言い方が引っかかる気もしました。

いつものように、A君のいるリハビリ室に行きました。診察での話をざっと伝え、リハビリ開始といつものように横になって待っていたのですが、A君はデスクのある控室に行ったっきりなかなか帰ってきません。

5〜6分ほどしてやっと帰ってきたのですが、どうもぎこちなさが感じられます。「先生なんと言われてました?」「次はどちらの病院に行かれることになったのですか?」とか、いつもと違った雰囲気で質問が続きます。

ひととおりのリハビリメニューを終えて「ちょっと待っててくださいね。」といってA君は再度デスクのある控室に入って出てこなくなりました。私は「???」という感じで、リハビリにいそしんでいる おじいちゃん、おばあちゃんを眺めていました。

今度は10分ぐらいしてA君がたくさんの紙を持って帰ってきました。「リハビリテーション総合実施計画書」というA4 3枚組の書類でした。10月からのリハビリ回数分が束になっていました。「毎回お手間になると思って出してませんでした。サインいただけますか?」とのことでした。

実はこの書類、病院の収入である診療報酬算定のために必要な書類でリハビリテーション開始後7日以内(遅くとも14日以内)に作成しないといけないもののようでした。

「おいおい。大病院でそんな突っ込まれるような事しないほうがいいぞ」と思ったのですが、そうは言わずにひたすらA4の紙の束にサインしました。A君は平静を装っていましたが、どうも知らなかったのか急に言われてバタバタ対応しているように見えました。ストレスや不満を感じさせるオーラを発していましたから。「今日のリハビリ、キャンセルしてたらどうしてたのだろう?」と後から思いました。

 

↑ まとめてサインしたA4の紙の束

 

 

同じ情報があっても「見たて」が違う

 

紹介してもらった「肩専門の先生」のところに行きました。行ってみると、違いは歴然としていました。 何が違うかというと、

 

●情報と機会への接し方が違う

前の病院と同じく診察では肩の可動域の確認をされました。前の病院ではアバウトに前回より良くなったか悪化したかの記録でしたが、今回はすべて数値化して記録されていました。

 

●いまやるべき事の判断が早い

持ち込んだ画像は半年前のものだったので、再度MRI撮影することになりました。やはりでしたが、炎症を抑えるまでにリハビリで動かしすぎているとの事で、炎症を抑える薬と痛み止めの薬を飲むことになりました。

 

●ゴールまでの筋道を示す

完治までの道のりを複数例示してくれました。投薬・注射・手術などのケースを分けて、順にトライする計画と優先順位を明示。その際は新しく撮影ささたMRI画像と肩の関節と筋肉の模型を見せながらの説明で、素人にも理解しやすいものでした。

 

半年間通院しながら、うすうすは感じていましたが最初の病院はイマイチ「五十肩」に対してわかっていなかったようです。「なんだよ半年間も💢」とも思ったいっぽうで「ダメなら他の専門の先生に紹介」というシステムはいいなとも思いました。何故かと言うと、私が専門としてきた住宅ビジネスではダメでも自社で建ててしまいますから。。。比べるようなものでもないのかもしれませんが、取り返しのつかない「住宅業界」よりもずっとマシです。

 

これは私の話ですが、大阪で住宅の販売の仕事をしていた頃、競合他社を通じて本質的な住まいの良し悪しに、だんだんと気がついてきました。A君の数年後ぐらいの年齢だった時期です。

自分なりに考えられる様々な事を調べてから、自社の商品を自分でも欲しいと思える内容に変える提案をしました。その日、当時の社長には「それは君が社長になってからやってくれ」と言われてしまいました。「儲からない」と思われたのでしょう。

自分の理想と、売らなければいけない商品とのギャップに気づいてしまうと、それまでは競合に打ち勝ち契約してもらうことが嬉しかったのに、お客様の笑顔が徐々に苦痛になってきたのです。

「自分なら他社を選んだだろう」と思いながらも、自分では選ばない自社の家を買ってもらうことに罪悪感が強くなってしまったのです。その事で生活の糧を得ている自分がイヤになっていったのです。

当時、子供たちも小さかったのですが「お客様の選択を間違わせて報酬を得る父親がカッコいいか?恥ずかしくないのか?」と疑心暗鬼になっていた訳です。

 

理学療法士のA君も「患者の症状を改善する」という事と「与えられた目標・成果」をあげるという事の間で悩むことも多いと漏らしていました。私のリハビリの際も主治医からの指示から逸脱しない範囲で工夫できる事を印刷して渡してくれたり、いろいろ提案してくれました。

しかし、病院内で主治医は「絶対」です。はっきりは言いませんが、患者からのクレームの際などにはやんわり責任を負わされる理不尽なケースも、どうもあるようでした。「どこの業界も現場では似たようなことが繰り返されているのかな」という印象でした。私自身は、結果として自己の価値観と重なる方向のこと(住まいづくり)を自分の生業とできるようになりましたが、なかなかそうならない人も多いようです。

A君が、あの頃の私のように体調を崩してしまわない事を祈るばかりです。それよりも、体調崩してもいいから「天職」にめぐり会える事を祈るべきかも知れませんね。

 

社長の会社では、社長が欲しいと思える家(商品)を販売されていますか?また、現実に自社の家を若い社員が欲しがったり、建てたりされていますか?

 

 

 

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