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後継者の育成は計画的に

SPECIAL

親子経営コンサルタント

ビジネス・イノベーション・サービス株式会社

代表取締役 

オーナー社長と後継者のための、「親子経営」を指導するコンサルタント。みずから100億円企業を築くも、同族企業ならではの難しさや舵取りの大変さで苦しんだ実体験を指導。親から子へ失敗しない経営継承の極意として「親子経営」を伝授する。

後継者の育成は計画的に

拙著『親子経営の教科書』(マネジメント社)の出版の際、5社の親子経営企業で取材の機会を得ることができた。5社のケースから親子経営企業の経営エッセンスを読み解いた。今日はその第5話。

【後継者の育成は計画的に】

 私は若い頃、地元青年会議所でお世話になった。青年会議所では多くの先輩たちに大変可愛がってもらった。なかでも、私の会社の取引先の建設会社社長のH先輩には特にお世話になった。私が26才、H先輩が30才の出会いだ。

先輩の大学3年生の時、父親が仕事中の事故で亡くなった。20才の彼は大学を辞め、急遽帰郷し会社を継ぐことになった。当時の建設業界は全国的に活況を呈していた。私の地元淡路島も同様に、産業といえば建設業だというくらい、至る所に建設現場があったものだ。

その頃の建設業界では、下世話な話で恐縮だが、建設工事受注にあたり、いわゆる談合は当たり前のように行われていた。よって、地元建設業界では、力の強い会社が当然のように談合を仕切っていた。

H先輩の会社は当時それほど大きな会社ではなかった。父親を亡くし、大学を中退し、家業の建設会社を突然継ぐことになった。20才の右も左も分からぬ経営者が、訳も分からぬまま談合に出かけていたようだ。

当然のように周りから相当虐められたそうだ。人には言えないような理不尽な目に多く合わされたとも聞く。それでも負けん気が相当強かったH先輩は、耐えに耐え忍んで苦境を潜り抜けてきたという。

私がH先輩と出会った頃、彼は30才となり、地域建設業界のリーダーとして談合を仕切る側になっていた。私の会社の取引先社長でもあり、青年会議所の先輩でもあるH先輩に私は無条件で憧れたものだった。

私は大学を卒業し、24才で父親が経営する建設資材販売会社に入った。親父はそんな私をどう育てればいいか分からず、放って置かれていた。私は仕方なく自分で自分の仕事と立場を拵えていくことにした。

そんななか、青年会議所に入り、26才で出会ったH先輩には多くのアドバイスをいただいた。そのおかげで、私は30才で父親から社長を譲り受けることができたと思っている。H先輩は残念ながら5年ほど前に亡くなられた。

今も時たまH先輩のことを想い出すことがある。彼の当時置かれた境遇を考えると、本当によくやってこられたものだと今も感心している。父親がおらず、番頭さんもいないなか、独り孤軍奮闘する先輩の姿に今も涙する思いだ。

 中小企業で親から子へ事業承継、経営交代が行われるケースはそれぞれが特殊なケースになる。後継者が経営者となり次代を立派に担うことができるよう、現経営者にはできることがある。それは、後継者を計画的に育てることである。

H先輩のように、突然経営を背負うことになったケースは決して珍しくない。中小企業では、社長である父親が元気でいる間は、つい「まだ早い」「そのうちに」と後継者の育成を先送りしてしまうことが多い。

しかし、経営というものは、ある日突然できるようになるものではない。現場を知り、人を知り、商売の勘所を体で覚えるには、それなりの時間が必要なのである。

ところが実際には、後継者が十分に経験を積む前に、急な病気や事故で社長が不在になることもある。そうなれば、残された後継者は、まさにH先輩のように、右も左も分からぬまま経営の最前線に立たされることになる。

後継者育成とは、単に会社に入社させることではない。どの部署で何を学ばせるのか。どのタイミングで責任ある仕事を任せるのか。社内だけでなく、社外の人脈や学びの場にどう送り出すのか。そうしたことを、現経営者が意識して設計していく必要がある。

私自身、振り返れば決して十分な準備があったわけではない。ただ、青年会議所での経験や、H先輩のような人生の先輩との出会いがあったおかげで、経営者としての視野を少しずつ広げることができた。

人との出会いが、後継者を育てる大きな力になることを身をもって知った。後継者は、自然に育つものではない。意識して育てるものだ。現経営者がその覚悟を持つことが、円滑な事業承継への第一歩になるのではないだろうか。

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