「実績で語る」温室効果ガスデータの活用~FTSEスコア改善法~
「西田先生、ウチはまだ誰もやってないことに挑戦しているので、そのリスクは取っているつもりです。なのでぜひともこの努力を実らせたい。」ちょうど私の斜め前に座った支援先の社長が問わず語りに漏らした一言です。そのコトバは、先方の事務所にある4人掛けの会議スペースと、オンラインで遠隔地から参加されたメンバーの全員にもしっかりと伝わったことと思います。
この会社は、昨年からライフサイクルアセスメント(LCA)の手法を駆使して、自社の温室効果ガス排出実績を可視化する取り組みを続けてこられました。購入した原材料、社内のエネルギー使用、物流、廃棄まで、可能な限り一次データを集め、排出原単位の妥当性を検証しながら、年度ベースの排出量を「見える化」してこられたのです。やってみると分かりますが、これは相当の手間がかかります。データの来歴(どこから、誰が、どの粒度で取得したか)を整えるだけでも一苦労ですが、同社は粘り強く社内の業務フローに組み込んでこられました。
今年はさらに踏み込み、全社データと並行してプロジェクト別の実績把握にも挑戦されています。案件ごとに材料・エネルギー・外注の投入量をひも付け、顧客別の排出実績として束ね直す。こうすることで、個々の顧客との対話が「概算」から「実測」に置き換わり、たとえば次期調達や共同の削減施策の議論が、感覚論ではなく数値に基づく提案へと進化してゆきます。「A社向けの製品は、素材切り替えと工程改善で案件当たり○%削減できる見通しです」といった会話が、営業と技術の共通言語になるわけです。
実際、同社の取引先は大企業が多いこともあって、顧客からの評判は上々です。ただ、その背景に資本市場の要請があることは、現場ではまだ十分に共有されていないのかもしれません。とくに東証プライムの上場企業にとって、温室効果ガス削減を含むサステナビリティ情報は、投資家が重視する非財務情報開示の最優先テーマです。気候関連では、サプライチェーン全体(スコープ1・2・3)の排出量が評価の要となりますが、最大ボリュームを占めるスコープ3はサプライヤー側のデータがなければ精度が上がりません。そこで多くの企業はやむなく業界平均や二次・三次データで代替し、年度の決算に間に合わせているのが実情です。
この「平均値頼み」が資本市場の評価にも影を落とします。たとえばFTSE RussellのESG評価(一般に“FTSEスコア”と呼ばれるもの)では、気候変動のカテゴリーで、①排出量の網羅性(対象範囲やサプライチェーンのカバー)、②データの信頼性(測定方法・第三者保証・データ来歴)、③削減目標と進捗(科学的整合性やKPI連動)などがチェックされます。平均値で埋めた推計は、どうしても「網羅性」「信頼性」で減点されがちです。逆に、サプライヤー側から案件別・顧客別の一次データが提供され、かつ来歴と算定手順が明示されていれば、調達企業のスコアは「データの質」と「開示の成熟度」で加点されやすくなります。CO₂排出量そのものの大小だけでなく、どれだけ実測に近づけたかが資本市場の評価指標に直結する、ということです。
当社が一貫して申し上げてきたのは、「きちんとした実績値で報告すれば、評価されないわけがない」という極めてシンプルな原則です。今回の支援先はこの考え方に賛同され、負荷は承知のうえでデータ取得を“現場実装”してこられました。結果として、顧客の気候関連開示(統合報告書、サステナビリティレポート、CDP回答など)に一次情報として引用される場面が増え、調達部門からの信頼が目に見えて高まっています。これは単なる「良いことをしている」ではなく、顧客の投資家評価に効く具体的な貢献になっているのです。
「先生、ウチの取り組みをぜひ成功させてほしい。」社長の熱い思いに応えるべく、当社としては『顧客のFTSEスコアに直結する情報戦略』を、次の四点でご提案したいと考えています。
第一に、データ・ガバナンスの確立です。案件別の活動量から排出量までを一気通貫で管理できる台帳を整え、取得頻度・粒度・責任者・検証手順を文書化します。来歴が追えることは、それ自体が評価対象になります。
第二に、算定ルールの標準化と第三者保証の段階導入です。社内監査→外部レビュー→限定保証→合理的保証と段階を踏み、顧客の信頼と投資家向け開示の“証拠力”を高めます。ここでLCA由来の方法論をスコープ3の品目別算定に橋渡しするのが肝要です。
第三に、顧客別ダッシュボードの提供です。顧客自身のデータ画面に最新の寄与分をマッピングし、「当社全社実績との対比」「改善シナリオ」「コスト影響」を見せます。単なる数値の受け渡しから、意思決定に資する可視化へ進めます。
第四に、共同KPIの設計です。たとえば「当社供給分の原単位を3年で○%削減」「案件当たり排出量のピークアウト時期を前倒し」など、顧客の中期目標(SBT等)に直接つながる指標について双方合意されたものを目標とします。これに連動する価格インセンティブや長期契約は、営業面の武器にもなります。
もちろん、課題がないわけではありません。データ取得の負担、サプライヤーへの展開、原単位の見直しに伴う社内投資など、短期的にはコストが先行します。また、グリーンウォッシュでも、意図的に情報を隠すグリーンハッシュでもなく、事実に基づく適正開示を続けるためには、失敗も含めて透明性を担保する覚悟が必要です。それでも、一次データへのシフトは確実に顧客のESG評価を押し上げ、ひいては資本コストの低減につながります。ここに、挑戦の合理性があります。
サステナビリティ経営は、掛け声では変わりません。現場で集めた実績値を、顧客の評価指標に「変換」して届ける。地味ですが、最も効くやり方です。社長が言われた「まだ誰もやっていないこと」は、実は多くの企業が「必要だと分かっているのに手を付けられていないこと」でもあります。だからこそ、先に動いた企業に競争優位が生まれます。
同社の取り組みが、顧客のFTSEスコアに直結する“見える価値”となり、ひいては日本のサプライチェーン全体の開示精度を底上げする良い前例になることを、心から期待しています。当社としても、LCAの知見と情報開示の実務をつなぐ役回りを粘り強く務め、挑戦を結果に結びつけてまいります。社長の「この努力を実らせたい」という覚悟に、私たちも全力でお応えしていきたいと思います。
コラムの更新をお知らせします!
コラムはいかがでしたか? 下記よりメールアドレスをご登録いただくと、更新時にご案内をお届けします(解除は随時可能です)。ぜひ、ご登録ください。

