日本企業にとってこれは最後のチャンスかもしれない ~フィジカルAIの産業活用~
2026年7月16日、AI半導体最大手であるNVIDIAのジェンスン・フアンCEOが来日し、日本にとって非常に大きな意味を持つ発表が二つ、同じ日に行われました。
一つは、経済産業省とNVIDIA、そしてNoetra社が連携し、フィジカルAIに特化した国家規模のAIインフラを構築するというものです。「FRONTiaプロジェクト」と名付けられたこの計画では、NVIDIAの次世代GPUを2万7,500基以上、CPUを1万3,750基以上、電力容量にして140MW規模のインフラを整備し、1兆パラメータ級のAIモデルの開発を目指すとされています。AI関係の用語になじみのない方にも、何やらものすごい数字が並んでいる、ということは感じて頂けるでしょう。
もう一つは、富士通、ファナック、安川電機、川崎重工業の4社が、NVIDIAの技術を取り入れたフィジカルAIの社会実装に向けた事業検討を開始する、というものです。工場の生産計画の最適化、小売・物流の搬送業務の自動化、さらには医薬品や検体の院内搬送といったヘルスケア分野まで、適用範囲はかなり広く想定されています。さらに、NVIDIAの世界基盤モデル「Cosmos」を軸とした連合には、日立製作所、NEC、ソニーグループ、ソフトバンク、本田技術研究所、クボタ、Preferred Networksなど、20社を超える日本企業が名を連ねました。
フィジカルAIについては、ヒューマノイドの産業活用も含め、本コラムでも何度か取り上げてきました。3回前の第283回では、「日本におけるフィジカルAIの最大にして最重要な着目点は、現在工場で稼働しているロボットアームがどうなるのか、という点に尽きる」と申し上げたばかりです。それが、わずか数週間で官民を挙げた具体的な動きとして表に出てきたわけで、正直なところ、私自身が一番驚いています。
そしてなぜ、NVIDIAは「日本」にこだわったのか…。飛ぶ鳥を落とす勢いのあの会社が、と思われた方も多いでしょう。理由は大きく二つあります。
一つは、
日本には産業用ロボットに関する知見が、他国とは比較にならないほど蓄積されている
ということです。ファナック、安川電機、川崎重工業という顔ぶれを見れば、それは一目瞭然でしょう。
そしてもう一つが、
熟練工の技が、いまも現場に残っている
ということです。フアンCEOは「日本は今日の製造業を生み出した」と述べ、NVIDIA側の発表資料でも「製造、精密工学、ロボティクスにおいて蓄積された世界屈指の伝統技術」という表現が使われています。つまり彼らが日本に見ているのは、半導体の売り先ではなく、「AIに学習させるべきお手本がそこらじゅうに転がっている国」、ということなのです。
この話をすると、中小企業の経営者の方からは決まって「うちには全然関係のない話ですよ」と言われます。しかし私は、それは違うと思っています。
日本の現場作業員の仕事は、世界的に見て超一流の部類です。産業用ロボットを長年駆使してこられた中小企業も数多くあり、そこに蓄積されたノウハウは、決して大手企業だけのものではありません。そして手仕事を中心に、人が何年もかけて習熟した技術。これらをAIが読み取って理解し、ロボットやヒューマノイドで再現できるようになれば、そこには大きな価値が発生します。器用で勤勉な日本人作業者の動きをロボットが記憶し、理解し、応用する。それができれば、世界中どの国に行っても即戦力で役に立つことは間違いありません。
さて、ここまでは「国内にたまったノウハウには価値がある、お金に変換できるものだ」というお話に過ぎません。中小企業の社長にとって本当に重要なのは、実はその裏返しのほうです。つまり…
これまで自力では導入が難しかったロボットを、自社に導入できるようになるかもしれない
ということなのです。
今までロボットを動かすには、ティーチングと呼ばれる動作定義の作業が必要でした。これがメーカーごとに異なる専門的な作業で、少量多品種の現場ではラインチェンジのたびに発生するため、導入のハードルを大きく押し上げていました。ところがフィジカルAIが進むと、社員の役割は「ロボットのプログラミング」という高度なものではなくなります。「動作をロボットに教える」、つまりお手本を見せるような教え方で学習が済んでしまうわけです。
つまりNVIDIAは、「ロボットのソフトとハードを作る側と、それを使う側のノウハウが、日本なら一カ国で揃う」と踏んだ。そこに日本の官民が協力して挑むことになった。今回の一連の発表は、そういうことなのだろうと私は見ています。
ここまでお読みいただいて、特に気づいていただきたい方がいます。「あの作業をやっている社員が退職してしまったら、うちはどうなるのだろう」と心配されている社長です。
社会構造の激変で、社員を思うように雇用できなくなりました。昔のように社員に無理をさせることもできません。外国人材の活用も重要でしょう。しかしそれ以前に、「あの社員がやってきたあの仕事を、今度はロボットに肩代わりさせられるかもしれない」という発想の転換を、ぜひしていただきたいのです。
ここで一つ、お断りしておかなければなりません。私は本コラムで繰り返し「身の丈に合った投資を」「極論は危険」と申し上げてきました。ですから「全財産をフィジカルAIに投じよ」などと言うつもりは毛頭ありません。申し上げたいのは、これからの設備投資の優先順位を考えるとき、フィジカルAIを検討リストの最上位に置いていただきたい、ということです。そして例によって、いきなり山頂を目指すのではなく、まずは一工程から始めるべきです。
もう一点、前回の本コラムで「AIエージェントの活用拡大は、人事制度の変革なくして進めることはできない」と申し上げました。これはフィジカルAIでも同じです。ロボットに仕事を教える社員が、「自分の仕事を奪う相手に手取り足取り教えている」と感じてしまえば、どんな技術も現場では動きません。教える人をどう処遇するのか…。この問いから逃げることはできないのです。
もう一つ、冷静に考えておくべきことがあります。熟練工の技をAIが学習するということは、その技が「データ」として自社の外に出ていく可能性がある、ということです。熟練工の技は、これまで本人の身体の中にしかなく、外に出しようがありませんでした。ところがそれをAIが学習した瞬間、その技は持ち運びのできる「知見」に変わります。そうなると、知見(=時として技術かもしれません)を身につけたAIロボットが、まるで社員が転職するようにそのまま第三者の手に渡る、ということも起こりえるわけです。今回の富士通らの発表で「ソブリン性を確保した協調制御基盤」という言い方がされているのも、まさにこの点への配慮でしょう。国レベルでそれを気にしているということは、一企業のレベルにも同じ問いが降りてくるということです。契約書や規約などで、自社で学習したデータの扱いに関する制限を定めたり、第281回で申し上げたローカルAIという、外部ネットワークには出て行かない仕組みを使うなどの工夫が必要です。
2025年1月、本コラムの第236回で、私は総務省の調査を引きながら「数周遅れの日本が、AIの利活用で一気に挽回できる千載一遇のチャンス」と書きました。
正直に申し上げれば、あのときの見立ては、半分しか当たりませんでした。先月公表された令和8年版の情報通信白書によれば、日本企業の生成AI利用率は86.4%まで上がり、利用率そのものは欧米と肩を並べました。ところが同じ調査で、「組織的な業務変革に取り組んでいない」と答えた日本企業は27.0%。米国の1.4%、ドイツの4.9%と比べると、その差は歴然としています。へそ曲がりな表現をお許し頂けるなら、「使うようにはなったが、会社は変わらなかった」わけです。
DXでは周回遅れと言われ、AIの活用でも先頭集団にいるとは言えない。それが日本企業の現在地です。しかし、こと「フィジカルAI」に関して言えば、日本は最初からポールポジションにいます。ロボットを作る力と、教えるべき技を持つ現場と、そこに国家インフラと世界最大のAI企業が乗ってくる。この条件が揃っている国は、世界中を見渡してもそう多くありません。
だからこそ、今回は同じ轍を踏むべきではありません。「使ってはみたが、会社は変わらなかった」で終わらせないために必要なことは、実は非常に地味です。「ロボットに仕事を教えるには、その仕事が目に見える形になっていなければならない」ということ。手順が人の頭の中にしかない工程は、AIにも教えられません。業務プロセスの可視化という、私が何度も何度も申し上げてきたあの作業が、ここでもまた出発点になります。
ぜひ、フィジカルAIの自社活用の検討を開始してください。そして最初の一歩は、高価な機械の見積りを取ることではなく、「現場の作業を書き出してみること」から始めていただければと思います。
皆さんの会社の「あの作業」は、いま紙に書き出せる状態になっているでしょうか。
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