「怒り」をビジネスチャンスに変える
「以前は夏でもこんなに暑くなることはなかったんですけどね。」日陰にいないと肌が焼けるような強い日差しの中、まぶしさを遮るように椅子を動かしながら長年の友人であるご主人が話してくれました。友人宅に呼ばれた日曜の午後、庭にしつらえたパラソルの日陰で美味しいピクニックランチを頂いていたときのことです。
「まさにその通りだと、皆が感じていると思いますよ。」本当にうんざりするほどの暑さが続く中、私もそんな風にお答えしたのですが、なぜそうなってしまったんだという部分には怒りにも似た感情が湧いてくるのを抑えることができませんでした。
長年議論を続けてきて、それが具体的な施策へと立ち上がったはずなのに、温暖化のペースは一向に収まる気配がありません。
考えてみれば、気候変動対策について国際社会が何もしてこなかったわけではありません。1992年に気候変動枠組条約が採択され、その後の京都議定書を経て、2015年にはパリ協定が採択されました。世界の平均気温上昇を産業革命前と比べて2℃より十分低く抑え、1.5℃に抑える努力を追求するという目標は、今や国際社会の共通認識と言って良いところまで来ています。
企業の取り組みもずいぶん変わりました。再生可能エネルギーの導入、省エネルギー、EV、蓄電池、水素、CO2の回収・利用など、以前であれば一部の環境関係者だけが話題にしていたようなテーマに、世界中の企業や金融機関が大きなおカネを投じる時代になりました。
それなのに、肝心の温室効果ガス排出量は思うようには減っていません。IPCCは、人間活動が地球温暖化を引き起こしていることは疑う余地がなく、2011~2020年の世界平均気温は1850~1900年と比べて約1.1℃高くなったと整理しています。また国連環境計画(UNEP)が2025年に公表した報告書でも、現在実施されている政策だけでは、今世紀の気温上昇が2.8℃程度に達するとの予測が示されています。
つまり、議論もした、目標も作った、技術も開発した、おカネも使った。それでもなお、十分な結果が出ていないということなのです。
これにはいろいろな理由があると思います。経済成長とともにエネルギー需要そのものが増えたこともあるでしょうし、国によって置かれている事情が違うこともあります。脱炭素のための新しい設備を導入しようとしても、既存設備をすぐに全部入れ替えられるわけではありません。
でも、結果が出ていない以上、「これまでやってきたのだから仕方がない」と言うわけには行きません。むしろ、これまでのやり方だけでは足りなかったという現実を正面から見て、次の手を考えるべきところまで来ているのだと思います。
そしてそれは、廃棄物の再資源化についてもまた当てはまる問題なのです。日本では長い時間をかけて、廃棄物処理やリサイクルの制度を整備してきました。容器包装、家電、自動車、食品、建設資材、小型家電、そしてプラスチックと、個別の対象物について法律や制度が整えられ、3R(リデュース・リユース・リサイクル)という言葉もすっかり定着しました。
成果がなかったわけではありません。環境省の統計を見ると、一般廃棄物の排出量や最終処分量は長期的には大きく減ってきており、かつて社会問題となった最終処分場の逼迫についても、さまざまな努力によって一定の改善が図られてきました。
でも、ここでも一つ考えてみる必要があります。私たちが目指しているのは「ゴミをきちんと処理できる社会」なのでしょうか、それとも「一度採取した資源をできるだけ長く使い続け、新たな資源投入そのものを減らせる社会」なのでしょうか。
この二つは、似ているようでかなり違います。これまでのリサイクルが主として廃棄物処理の負担を軽くするために発展してきたのに対して、サーキュラーエコノミーでは製品の設計段階から再使用や再資源化を考え、回収した資源を再び産業側へ戻して行くことが求められます。
環境省が2024年に策定した第五次循環型社会形成推進基本計画でも、製造業や小売業などの「動脈産業」と、廃棄物処理・リサイクルを担う「静脈産業」の連携が重要なテーマとして掲げられました。必要な品質と量の再生材を安定して供給できるよう、製品設計、再生材利用、解体、破砕、選別といった一連の仕組みを高度化して行こうというわけです。
ここまで来ると、気候変動対策との近似性が見えてきます。どちらも「問題があること」はずいぶん前から分かっていましたし、技術開発も制度整備も進められてきました。それでも社会全体の仕組みを変えるところまでは、まだ十分に到達できていないのです。
温暖化対策では、再生可能エネルギーの技術があっても、それを大量に導入できる送電網や蓄電設備、市場制度がなければ社会全体は変わりません。再資源化でも、素晴らしいリサイクル技術があったとしても、原料となる廃棄物を安定的に集め、一定の品質に加工し、それを買ってくれる需要家へ戻す仕組みがなければ市場は広がりません。
要するに、技術だけでは足りないのです。技術を社会の中で使い切るためのビジネスモデルとサプライチェーンを同時に作らなければ、いつまで経っても「良い技術はあるのだけれど、なかなか普及しない」という話が繰り返されることになります。
これが20年、30年と続いてきたのだと考えると、私は少々腹が立ってきます。これだけ多くの人が考え、これだけ多くのおカネを使い、これだけたくさんの技術を開発してきたのに、まだ同じような議論をしているのか、という思いです。
でも経営者にとって、この「怒り」は案外大切なのではないでしょうか。上手く行っていないことに腹が立つというのは、裏を返せば「もっと上手くできるはずだ」と考えているということでもあります。
議論ではなく実践を。気候変動も廃棄物問題も、サステナビリティを巡る取り組みにおいてはさらに一歩踏み込んだ対応が求められつつあります。私は、この一歩を踏み込むところに、これからのビジネスチャンスがあると思っています。これまで上手く行かなかったのなら、上手く行かなかった理由を探し、それを取り除く商品やサービスを考えれば良いのです。
再生材の品質が安定しないのであれば、品質を安定させる技術に商機があります。量が集まらないのであれば、回収と物流を効率化する仕組みに商機があります。再生材を使いたい企業と供給したい企業が出会えないのであれば、両者をつなぐ仕組みに商機があります。
気候変動対策についても同じです。再エネを導入できない理由があるなら、それを解決するところに市場があります。CO2排出量を減らしたいのに方法が分からない企業がいるなら、そこには新しい技術、設備、データ、金融、コンサルティングなどの需要が発生します。
社会課題が大きければ大きいほど、それを解決したときに生まれる価値もまた大きいのです。サステナビリティというと、どうしても「企業が利益を我慢して社会のために良いことをする」という話に聞こえることがありますが、私はむしろ逆ではないかと考えています。
社会が本気で解決を求めている問題には、必ず需要があります。その需要に応えられる技術や仕組みを誰よりも早く作ることができれば、それは立派な競争力になりますし、社会課題が深刻であればあるほど、その競争力の価値も高まるはずです。
もちろん簡単な話ではありません。何十年も解決できなかった問題なのですから、少し工夫した程度ですぐに答えが見つかるのであれば、とっくの昔に誰かがやっているでしょう。
でも、だからこそ面白いのです。これまで上手く行かなかったという事実は、「できないこと」の証明ではなく、まだ誰も十分な解決策を市場へ提供できていないことの証明だ、と考えることもできるからです。
冒頭でお話しした暑さへの苛立ちも、ただ「昔はこんなに暑くなかったのに」と嘆くだけなら、そこで話は終わってしまいます。でも、「どうしてこんなことになったのか」「なぜこれだけ対策しているのに変わらないのか」と腹を立て、その怒りを解決策へ向かうエネルギーに変えることができれば、見えてくる景色は大きく変わると思います。
社会課題に対する怒りを、誰かを責めるために使うのではなく、解決するためのビジネスに変える。そういう経営者が増えれば、社会は少しずつ良い方向へ動きますし、その企業には新しい顧客、新しい市場、新しい仲間が集まってくるのではないでしょうか。
「どうして今まで上手く行かなかったんだ」と腹を立てながら、「だったら自分たちが上手く行く方法を作ってやろうじゃないか」と考える。そのくらいのエネルギーが、これからの環境ビジネスにはちょうど良いのかもしれません。
この機を逃さずビジネスとして成功させる、そんなチャレンジに燃える経営者こそが生き残って行ける時代なのだと思わずにはいられません。
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