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父と子の厄介な関係は繰り返す

SPECIAL

親子経営コンサルタント

ビジネス・イノベーション・サービス株式会社

代表取締役 

オーナー社長と後継者のための、「親子経営」を指導するコンサルタント。みずから100億円企業を築くも、同族企業ならではの難しさや舵取りの大変さで苦しんだ実体験を指導。親から子へ失敗しない経営継承の極意として「親子経営」を伝授する。

父と子の厄介な関係は繰り返す

今日は親子経営企業の思わぬ「死角」について第4話。

【父と子の関係が厄介だ】

 私のブログで最もアクセス数が多いのが「父と子の関係性が厄介なのには理由がある」というものだ。不思議なもので父と子の間には知らず知らずに「確執」のようなものができていることが多い。

 私も亡くなった親父とは確かに「確執」があったと思っている。そして気がついてみると、私と私の息子との間にも「確執」ができていた。今思い出してみると、私の場合、私が父親として私の息子に必要以上に「執着」していたのが原因だった。

私の息子が高校からアメリカに留学したことで、私の息子への「執着」ともいえる干渉が無くなった。結果として、文字通り互いの距離が離れたことで私たち親子の関係性が変わった。父と子の関係は本当に厄介なものだ。

さらに言うなら、父と子の関係が厄介なのは、代を繋いで次の世代もまた、父と子の関係性が厄介なことになっていることが多いということだ。自分がさんざん父親との確執で悩まされたにもかかわらず、気が付くと自分の息子とも同じように確執が生じている。人とは、なんと愚かなものかと思わずにはいられない。

 私は自身が薄学、浅学な故、自分の著書で中国古典四書『大学』『論語』『孟子』『中庸』から引用させていただくことが多い。なかでも『大学』は、著書一冊を『大学』から抜粋、引用させてもらい、ビジネス書として出版している。

『大学』『論語』を読みながら、孔子先生が自身の息子との関係、父親との関係について書かれたところはないかと、調べてみたことがある。残念なことに、孔子の親子関係がどのようなものか窺える箇所は、僅かしか存在していない。

孔子には鯉という息子がいたようだ。残念ながら孔子より早くに亡くなっている。孔子と鯉との様子が記述されている箇所はわずか一か所のみ。その様子から孔子と息子鯉との関係性を推察する以外にない。

そこから分かる事実として、孔子は数多くいる弟子たちと息子鯉をなんら区別することなく同等に扱い、接していたようだ。父親として当然、息子を愛していただろうが、溺愛、偏愛することなく、また、ことさら息子に執着することはなかったと思われる。

言うならば、孔子は息子鯉を息子としてではなく、全くの別人格を持つ一人の人として認め、接していたと考えられる。例えば、現代の親子経営企業に置き換えてみると、大学を卒業し父親が経営する会社に長男が入社したとしよう。

父親である経営者は、入社した長男を他の新入社員たちと全く同じように扱ったということと似ている。社長の長男だからと、何らかの特別扱いをすることなく、他の社員と同様に教育し、自らの能力、実力で這い上がってくるのを待つかのようである。

また、孔子は自身の父親についての記述はされていない。しかしながら、子が父親に対する姿勢についてはいくつか残されている。儒教の根本思想の一つ「孝」がそれである。人の道としての「孝」を多く説いている。

孔子の説く「孝」は、現代を生きる我々日本人にとって容易なことではなくなってきている。孔子は謂う、親への「孝」はただ「養う」だけでなく「敬い」の心が無ければならない。「養う」だけなら犬や馬でも養っているだろうに、という。

今の日本では、親を「養う」ことすらとても難しい。息子がいくつになっても家から出ず、いつまでも親に養ってもらっている。息子はようやく自立をしているが、とてもじゃないが親の面倒までみる余裕がない。

ましてや、親を「敬う」などという気持ちを持つゆとりなどない。自分の生活を維持するだけで精一杯なのに、親のことなど考えてなどいられない。孔子が聞けば「なんという世界だ。愚か者たちよ」とでも言うのだろうか。

私はすべての人間関係は相対、相互関係だと思っている。親子関係もしかり。親は我が子を慈しみ愛する。親の子への愛はまさに無償の愛だと思う。またそうでなければならないと思っている。

親が我が子を愛する気持ちに、なにか打算的なものがあってはならない。また、親が我が子を必要以上に愛を押し付けようとしてはいけない。人間関係は相対的であるとするなら、それに対し、子たちは反発し辟易することだろう。

親の無償の愛、慈愛に育てられた子たちは、それに対し、親への「孝」で応えるだろう。孔子がいう「孝」は決して一方的で押し付けようとするものではない。初めに、親の子への「慈愛」があって、子の親への「孝」がある。

父と子の関係が厄介なのには理由がある。いろいろな理由があげられるだろうが、根本的な話をしておこう。父の子への愛が、「慈愛」でなく、溺愛、偏愛となることで、それに応える子たちの反応が、反発、反抗、無関心などとなるからだ。

父と子の厄介な関係が延々と繰り返す理由がここにあると考えている。

 

 

 

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