データが売り物になる時代の経営
「西田さん、データが売り物に変わるプロセスについて、今まで見えていなかった部分が少しずつわかってきた気がします。」最近新しい協力について相談する機会が増えたIT企業の幹部が、新しい商談についての感想をそんな風に話してくれることがありました。いつにもまして美味しいお酒をいただいていたときのことです。
思えば、日本のモノづくりが世界を席巻していた時代、ありとあらゆるメイドインジャパンの製品は、抜群の性能で高く評価されたものでした。海外出張のたびに現地の方から「日本製は壊れない」「信頼できる」と言われ、誇らしい気持ちになった経営者の方も多いのではないでしょうか。
高出力で低燃費のクルマ、高音質の音響機器、画像の美しいテレビ、音の静かな生活家電。難しいデータなど見なくても、ユーザーが使ってみて「良い」と感じれば、それがそのまま絶対的な競争力になった時代が、少し前まで確かにありました。品質の良さは触れれば分かる。静かさは耳で分かる。燃費の良さは財布で分かる。つまり、価値が直感で伝わったのです。
ところが今、世の中が求め始めているのは、そうした「体感できる良さ」だけではありません。それがどれだけ過去の実績に比べて良くなったのか、あるいはこの先どれだけ良くできるのか。言い換えれば、競争の焦点が「絶対値」から「比較」と「伸びしろ」に移ってきたということだと思います。しかも、その比較対象を示すために使われるのが、主観ではなくデータです。使ってみた満足度のような定性的評価とは、かなり次元が違う話になってきました。
この流れをさらに加速させているのが、金融や株主の視線です。彼らの意向は、かつてない迫力で経営者への要求を突き付けてくるようになりました。考えてみれば当たり前ですが、たとえ製品を使っていたとしても、彼らはユーザーではなく資金提供者の目線で企業を見ています。使い心地や質感といった定性的な差別要因も無視はしないでしょうが、最終的に彼らが比較したいのは「改善幅」です。競合先の製品と比べて、性能がどれだけ伸びたのか。コストがどれだけ下がったのか。不良率がどれだけ減ったのか。供給がどれだけ安定したのか。こうした数字が、投資の判断材料になります。
そしてここが、経営者にとっての難所です。現場には手応えがある。お客様の反応も良い。けれど、社外に向けて「何が、どれだけ良くなったのか」を、客観的に示せない。あるいは示せても、競争相手との比較として語れない。この間隙が広がると、企業は二つのリスクを抱えます。ひとつは、実力があるのに正当に評価されないリスク。もうひとつは、評価されないがゆえに資金や人材が集まらず、成長余力を失うリスクです。
この間隙を埋めてくれるのがDX技術であり、そのような企業が売り込むべきは「売り物としてのデータ」なのだと、私は考えています。ここで言う「売り物としてのデータ」とは、単にセンサーで取得した数値の束ではありません。経営判断に耐える形に整理され、比較可能性を持ち、意思決定に使える状態になったデータのことです。現場の改善を、経営の言葉に翻訳するための素材、と言ってもよいかもしれません。
たとえば、工場の稼働率や歩留まり、設備保全の予兆、物流の遅延要因、エネルギー使用量、顧客の使用状況、故障の兆候。こうした情報は、従来は現場に眠りがちでした。しかしデータとして連続的に取得し、分析し、改善につなげられるようになると、「良くなった」という感覚が「これだけ良くなった」という証拠に変わります。しかも、過去の自社比だけでなく、業界水準や競合水準との比較として語れるようになります。これが「データが売り物になる」ということの核心だと思います。
ここで面白いのは、データが売り物になると、製品そのものの売り方も変わってくる点です。従来は「良い製品を作って売る」が中心でした。しかし今後は、「良い製品を作り、使われ方のデータを取り、改善し続ける」という循環が価値になります。言ってみれば、モノづくりが“完成品の納品”で終わらず、“改善の継続”まで含めたサービスに近づいていくのです。これは、製造業が本来得意としてきた改善文化と相性が良いはずです。日本の強みが、別の形で再び輝く余地があると思います。
ただし、ここで経営者が一社で全部やろうとすると、遠回りになりがちです。データ取得の仕組み、セキュリティ、分析、可視化、現場実装、運用。必要な要素は多岐にわたります。だからこそ、改善幅や改善の方向性について、客観的なデータを添えたプレゼンができるようになるには、DX企業と組むのが最短の道になります。現場の知恵を持つ企業と、データの扱いに長けた企業が組む。これは、いわば「強みの分業」です。
このとき、経営者が押さえるべきポイントが二つあります。ひとつは、DXを「IT投資」としてではなく、「説明責任、つまり対金融営業のための投資」として捉えることです。投資家や取引先、場合によっては人材市場に対して、自社の改善力を説明できる会社になる。そのための基盤づくりだと考えると、腹落ちが早いと思います。いかに安くて良いカネを手に入れるか。資金問題にも営業マインドが求められるのです。
もうひとつは、データを「現場の監視」に使わないことです。データを取る目的は、現場を責めることではなく、現場を勝たせることです。ここを取り違えると、DXは現場に嫌われ、形だけで終わってしまいます。
冒頭のIT企業の幹部が言った「データが売り物に変わる」という言葉には、実はもう一つ含意があります。それは、データは単に社内の効率化に使うだけではなく、取引先や市場との関係性を変える力を持つ、ということです。改善幅をデータで示せる企業は、価格交渉でも、調達でも、採用でも、資金調達でも、話が早くなります。言い換えれば、データは信頼をつくる道具になり得るのです。
かつての日本は、体感できる品質で世界を驚かせました。これからは、改善をデータで語ることで、もう一度世界を驚かせる番なのかもしれません。その第一歩は、DXを「流行り言葉」ではなく、「経営の武器」に変えることです。そして、その武器を最短で手にする方法が、信頼できるDX企業との協業であり、売り物としてのデータを自社の言葉で語れるようになることだと、私は考えています。
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