第68号:なぜ、個別案件の判断が、社長の仕事になってしまうのか?
「シライ先生、今の判断、正しかったんでしょうかね……」
卸売業を営むA社長が、コンサルティングを受けている最中です。数字構造と事業構造の設計が深まりかけたその時、スマートフォンが鳴ります。
「はい、どうした?」「社長、今○○にいます。話が進んでいまして、もしこの条件なら今日決めていただけそうなんですが……」
「条件って?」「見積を少し下げて、納期を調整できれば、とのことです」
A社長は案件の粗利も経緯も掴めないまま、少し間を置いて言います。「……分かった。今回はそれでいこう」
冒頭のご発言は、そんな表情の晴れないA社長が電話を切った後に私に呟いたセリフです。
その案件がどんな経緯でここまで来たのか。現時点の見積粗利はどうなっているのか。そもそも、その条件を呑んだ場合、今月の数字にどんな影響が出るのか。何ひとつ分からない状態で、いきなり判断だけを求められる。
社長は何とか体よく回答します。しかしそれで終わりません。次の電話が鳴ります。別の社員から、別の案件の、別の例外の相談です。気づけば、社長の頭の中は「現場判断」で細切れにされ、肝心の社長業――未来の粗利をつくる仕事――が止まっていきます。
この状態になる理由は、「価格や業務に関する明確な決まりがないから」ではありません。もっと根源的かつ、実にシンプルな理由があります。それは、「社長が答えてしまうこと」にあります。
たとえ業務や価格における方針やルールがあったとしても、社長が答える限り、その方針は有名無実になります。社員の立場に立てば、社長に聞くという行為はきわめて合理的です。
第一に速い。第二に確実です。他の誰に何か言われようと、会社に損失が出ようと、「社長がOKした」という事実さえあれば、自分は守られることを知っているからです。
そしてもう一つ、もっと大きい問題があります。それは、社長が回答してしまうことで、「成果への判断軸が社長の内側に留まってしまう」ということです。
これでは、いかにルールを作ろうと、社員は聞き続けます。聞き続ける構造が出来上がっているからです。結局、最後は社長の頭の中にある“本当の基準”を引き出さないと決められない。社員もそれを分かっています。
では、どうすればよいのか。
重要なことは、判断基準やルールを社長の外に出して固定し、それに社員を従わせることです。
「決まりを作れば、社員が勝手に判断できるようになるはずだ」違います。決まりを作るだけでは、構造は変わりません。構造を変えるために、社長がやるべきことは一つです。外に固定した社長の判断軸に、社員の判断を委ねるのです。
もちろん、怖いでしょう。失注するかもしれません。例外事項もあります。顧客の事情もあるし、長年の付き合いもある。目先の売上も欲しい。そういう葛藤の中で、社長はつい答えてしまう。
しかし、もしあなたが「的確な判断を担える知的人材」を確保したいなら、その“答えてしまう癖”こそが最大の障害です。判断を担える人材が育たないのではありません。育つ環境が不足しているのです。
ここで、社長が本当にやるべきは、次の3つです。
第一に、値引きを「感情」から切り離し、数字に接続した判断基準として固定すること。
値引きの判断とは、本来「その案件の粗利」と「その粗利が会社の数構造に与える影響」を見る行為です。つまり、値引き可否の基準は、社長の気分や責任感ではなく、1人粗利に繋がる設計値であるべきなのです。
第二に、その基準を「運用」へ落とすこと。
運用とは、社員が迷ったときに“社長へ電話する”のではなく、基準へ照会する状態をつくることです。社長に聞くのではなく、道具に聞く環境です。
第三に、そして最も重要なのは、値引き要求の背後にある「事業設計の欠陥」をあぶり出すことです。値引きとは、単なる調整ではありません。それは、「その価格で選ばれる事業になっていない」ことを知らせる警報です。
だから、高い1人粗利の組織は、値引き相談に“答えません”。答えないことで、問いを立ち上げるからです。
- なぜ、この価格では売れないのか?
- なぜ、価値が伝わっていないのか?
- なぜ、交渉の主導権を握れていないのか?
この問いが立ち上がる文化こそが、1人粗利を引き上げ続ける組織の正体です。
自らの生産性、1人粗利を高めていくための、高度な判断業務を担える人材を確保するということは、こういうことです。意思決定を毎回正確に行える人間など存在しません。だからこそ、判断を“個人の能力”に依存させず、成果に繋がっていく判断が揃う仕組みを社長が作る必要があるのです。
その状態を作らない限り、社長はいつまでも「判断を与える人」
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