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SDGs時代にどうやって儲けるか

SPECIAL

オルタナティブ経営コンサルタント

合同会社オフィス西田

チーフコンサルタント 

カーボンニュートラル、SDGs、サステナビリティ、サーキュラーエコノミー、社会的インパクト評価などへの対応を通じた現状打破と成長のための対案の構築と実践(オルタナティブ経営)を指導する。主な実績は、増客、技術開発、人財獲得、海外展開に関する戦略の構築と実現など。

世の中では、とある期間に起きた様々な現象を捉えて〇〇時代、というレッテルが良く貼られるようです。相撲で言えば若貴時代だったり、経済で言えばITバブル時代だったりしたのが平成「時代」でした。

令和の世の中になって変化があるのかどうかわかりませんが、そのノリで評価すれば2020年はおそらく「with/afterコロナ時代」の幕開けにあたる年と言われるのだろうと思います。パンデミックそのものもさることながら、それに伴う経済の様変わりぶりと、ケタ違いな国家財政の出動(+それによる財政収支悪化)、現象面ではテレワークとオンライン会議システムの普及などが挙げられると思います。

同様に、ここ数年じわじわと注目されるようになったものの一つにSDGs(2030年のための持続可能な開発目標)があります。2015年に国連総会が導入を決めたこの国際的な目標は、一言で言うと「環境や社会に良いことを、目標を決めて取り組もう」という活動です。「誰一人取り残さない」という理念や、17個の異なるゴールを色とりどりのアイコンで表現したロゴなどとともに、広く社会で認知を受けるようになりました。学校で教材として取り上げられる例も増えていて、受験でも注目されてきたことから、今や大学生より若い年代には広く知られるようになってきています。

私はよく、SDGsが求める社会を一言で言い表すと、「道に落ちているゴミをビジネスパーソンが拾う社会」だと言う表現を使います。ビジネスパーソン、とはサラリーマンやサラリーウーマンを意味します。

SDGs以前の社会において道に落ちているゴミは、行政や町内会が清掃のときに拾うか、でなければ近所の老人あたりが散歩のついでに拾って片付けていたものだったと思います(あくまで一般的な理解としてお聞きください)。仕事で忙しいサラリーマンがわざわざそれを拾って片付ける、という場面はあったとしてもごく稀なもので、腕時計を睨みながら速足で歩く「彼」は、道端のゴミ拾いなんかに関わってはいられない、社会もまたそれを了としてゴミ拾いを免除していた時代、だということができます。

別な側面ではコロナ時代でもあるSDGs時代は、アポはテレワークが中心だったりするので、かつて当たり前のように街中を闊歩していた「速足で歩くサラリーマン」という人種や形態はその数を減らしつつあります。品川駅や大手町あたりに行くと、まだ群生している場面に出くわしますが、昭和の昔のように勢いをつけて増殖中、という時代とは確実に異なっています。

そうすると、その「彼」や「彼女」がどのような立場の人であったにせよ、ゴミを見つけたらその人が処理をする、みたいな規範に従ったほうが妥当性は高いと考えられるようになるのです。表面的な説明だけだと、なんだかわかったような、わからないような気分になるかもしれません。

経済学ではこれを「経済活動に起因する外部経済」と言います。これまでは、本来企業が対応すべき外部経済の問題も、政府や自治体がそれを肩代わりしてきました。そのほうが企業の経営資源を効率的に運用し、本業で儲けて納税してくれるので、社会全体の効率が上がる、というロジックです。経済全体が成長する時代の考え方と言えるでしょう。でもSDGs時代、成長より持続可能性が問われるようになると事情は変わってきます。

外部経済の尻ぬぐいを税負担でカバーできなくなる流れにあって、企業もまた、従業員がゴミを拾うことについて積極的な姿勢を打ち出すようになるのです。むしろ会社が号令をかけて社会に良いことをするようになる、それが当たり前、そうすることで社会のバランスは好循環する、みたいなことが当たり前になってゆく社会、実はそれがSDGs時代の特徴なのです。

企業は競争と成長のためなら多少の義務を犠牲にしても何も言われなかった時代から、まさに社会の持続可能性を尊重する立場をとって初めて持続可能な儲けを認めてもらえる、というようなパラダイムの転換が起こり始めているわけです。

トータルの経済自体が成長しなくなってきているわけですから、これは当たり前と言えば当たり前の変化です。ところがここには若干以上の時差があり、世の中には依然として昔ながらのアタマで物事を考えたがる経営者が沢山生き残っているのです。彼らの耳には、「持続可能性の追求」は「持続的成長(毎年必ず成長する)の可能性追求」と聞こえるらしいです。本来は環境や社会に負荷を掛けないようにすることなのに、それとは関係なく毎年ずっと経済成長を続けてゆく、というような目標が未だに実現可能だと信じるタイプの人たちです。

断っておきますが、私もSDGsの考え方が成長を否定するという意見に与するものではありません。成長は必要なファクターですが、SDGsが求める持続可能性については「子孫の成長機会を不条理に奪わない範囲において」、という条件が付きます。そうすることで子々孫々に渡って地球人類が栄えてゆけるように、という将来世代への配慮が求められる時代、それがSDGs時代なのです。

ある意味ではコペルニクス的な転回を要求される話だと思うのですが、経営者の反応は意外と素直です。新人社員もまた、新しいコンセプトを最も消化できるのは自分たちだ!とばかりに多様な質問でくらいついてきます。持続可能性なんて知ったこっちゃない、まずは会社の儲けが第一、そう叩きこまれて育ってきた中間管理職が最もハンディキャップを背負っているのかもしれません。

何時までそこで構えていても、もうボールは飛んでこないということを、経営者たるものしっかりと伝えなくてはなりません。そして明日の太陽がどちらから登るのかということも。混沌の時代において、せめてサーキュラーエコノミーがその助けになることを祈らずにはいられません。

 

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