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2代先を考えるのがコツ

SPECIAL

「信託」活用コンサルタント

株式会社日本トラストコンサルティング

代表取締役 

オーナー社長を対象に、「信託」を活用した事業承継や財産保全、さまざまな金融的打ち手を指南する専門家。経営的な意向と社長個人の意向をくみ取り、信託ならではの手法を駆使して安心と安全の体制をさずけてくれる…と定評。


スピードこそ命。
激変の時代ですから、何事も早く、速く。
でも、経営者だからこそ、じっくりと考えるべきこともあります。
とはいえ、成り行きに任せざるを得ないことも多いことも多いのですが。


◾️ライバル

「光る君へ」の中でも異色の存在感を放つのが藤原実資(ロバート秋山さん)。
貴族なのに色黒すぎ、と揶揄されながらも存在感は抜群。
ドラマの中の夫婦の会話に笑ってしまいます。

「わしを公卿にしておれば…」と愚痴をこぼす実資。
妻の桐子(中島亜梨沙さん)​​に「毎日、毎日、くどいわよ」と嗜められる。

なおも、「わしを公卿に…」と続ける実資。

すると妻が実資を一蹴します。

「あなた、それ、私に言わないで。日記に書きなさいよ。もう聞き飽きたから」

さらに、「日記、日記、日記!」と連呼して撃退。

この時代の貴族は日記を書く習慣がありました。

実資の実資の残した『小右記』という日記も、当時を知る貴重な資料となっています。

実資は西暦957年に生まれて、1046年に逝去。90年の人生のなかのうち、55年間の日記をのこしています。

この当時は、「氏(ウジ)」から「家(イエ)」に移行していく過渡期。藤原氏の中で形成された門流(一門)ごとに勢力争いをしている最中です。

ちなみに、「ウジ(ウヂ)」は始祖と関係する血縁関係の親族集団、「イエ」は父と子で連鎖する親族集団のことをいいます。

祖先を同じくする親族集団のため祖先祭祀を通じて、一門の結束を図るための場所となるのが寺(私寺)です。一門の宗教的、精神的な拠り所になるのとともに、財産管理の面でも重要な役割を果たすことになります。

実資は藤原北家の本流である小野宮流の​​氏長者ですので、分派である藤原兼家(段田安則さん)・道長(柄本佑さん)親子の九条流より格上でした。

ただ、後の歴史が示す通り、立場は逆転していきます。この差が生まれた要因は、子供の数でした。

そして、興味深いのは実資の跡継ぎ問題でした。

 

◾️実資の財産承継

この当時の貴族には公的官職による収入(律令俸給:家業)と、荘園等の財産による収入(家領)がありました。

藤原実資には息子と娘がおりましたが、息子の母親の身分が低かったため出家させられます。

官職につくことが出来るのは息子だけですから、娘しかいない藤原実資は兄の子である藤原資平(すけひら)を養子として政治的地位を承継する手立てを講じます。

官職による収入を得られない一人娘(千古:ちふる)に自宅(小野宮第)や荘園などの財産を譲りました。

この当時は婿入り婚ですので、娘が婿を迎え入れるための邸宅を譲るとともに、収入を得る手段として荘園などの財産を渡します。

つまり、家業を甥に譲り、家領を娘に譲るという分離型の承継です。

家業の後継者である資平は婿として出ていき、妻や娘と生活を共にしながら家領を管理するので、経営と財産が分離した状態です。

家業が父から子へと直系で承継される中では、家業と家領の分離は必ずしも合理的な状態とはいえません。家領も直系の父子で相続するほうが合理的です。

摂関政治(母子)から院政(父子)へと歴史は続いていきますが、居住のあり方も妻方居住から、独立居住する方向へと変わっていきます。

父子経営という縦のラインが強くなると家という意識が強くなり、氏という集団は補完的になっていく。つまり「一門」から「一家」へと変わっていくプロセスの中に実資はいたことになります。

そして、まさに家業と家領の分離の問題に実資の孫は直面することになるのでした。

 

◾️そして財産はライバルの下へ

実資は50歳を過ぎて初めて授かった娘の千古を溺愛し、財産の大半を彼女に譲りました。

しかし、この結果として家業の後継者である養子の藤原資平には財産が渡らないがゆえに、将来的に皮肉な事態が生じることになるのです。

藤原氏内での勢力争いが激しくなる中、藤原道長の一門が優位に立ち、実資は娘の千古を藤原道長の孫である兼頼と結婚させ、縁戚関係を構築しようとしました。

つまり、実資は娘の千古の婿として、藤原道長の孫の兼頼を婿どりをします。権力を握った道長の一族を婿に迎え、縁戚関係を構築して一族の繁栄を図ったのです

しかし、千古が先立ってしまい、譲っていた邸宅や荘園は実資のもとに戻ることになりました。

婿である藤原兼頼は孫娘(実資の孫娘)を小野宮第に残して実家に帰ることになります。

実資は2度結婚しましたが、どちらの妻も先立たれたため、全財産を孫娘に譲ることにしました。

実資から孫娘に財産が渡ると、藤原兼頼は小野宮第に戻ってきて娘(実資の孫娘)と一緒に暮らし始めます。

その後、実資の財産は兼頼に受け継がれることになり、小野宮流の財産は道長の御堂流に吸収されることになります。

結果的に、小野宮流の家業を引き継いだ藤原資平とその子である藤原資房は経済的な基盤を失うことになりました。

そして資房には更なる悲劇が待ち受けていたのでした。


◾️まとめ

事業(家業)と財産の承継シナリオを分けて考えることは重要な視点ですが、思わぬ結果になることもあります。賢人といわれた実資も将来を見通すことは難しかったようです。

とはいえ、2代先、孫の世代までのことを見通して手を打つ必要はあるのではないでしょうか。

社長は事業と財産の両面を考える必要があることに気をつけてください。

 

 

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