人物評価が正しければ、判断を誤らない

今日は私の子どもたちに人間関係の機微を話しておこう。
第4話
【人物評価が正しければ、判断を誤らない】
私が長年、経営者として本当に難しいことだと思ったのが人物評価だ。経営者は人事が苦手だと、私がいつも言うのも、実はこれが理由だからだ。何故、人は他人の人物評価を間違えてしまうのだろう。
それには原因、理由があるという。紹介しておこう。
まず、人は誰でも愛する者に対し、溺れてしまい偏った見方をするからだ。
次に、人は自分が嫌いな者に対し、卑しんで偏った見方をするからだ。
また、人は自分が尊敬し、畏れ敬う人に対し、恐れ慄き憚(はばか)るからだ。
さらに、人は貧しく困窮する者に対し、憐(あわ)れんで偏った見方をする。
最後に、人は自分が見下す者に対し、驕り昂(たかぶ)って偏った見方をするからだ。
どうだろう。思い当たることはないだろうか。経営者が人物評価を誤ると後々いろんな大変なことになる。冷静で慎重に処したいものだ。
私は会社経営をしていた頃、この「人を見る目」の難しさを何度も痛感した。仕事がよくできる人だからといって、人として信頼できるとは限らない。
口数が少ないからといって、能力が低いわけでもない。
愛想が良いから誠実とも限らない。
逆に、不器用で口下手な人ほど、誰よりも責任感が強く、会社のために黙々と働いてくれることもある。
人は外見や第一印象に惑わされやすい。しかし、本当の人物は時間をかけなければ見えてこない。だから私は、人物評価ほど急いではならないと思っている。
中国古典の『大学』には、「心ここに在らざれば、視れども見えず」とある。心に偏りがあれば、見えているようで実は見えていないということだ。
人物評価もまさに同じである。好きだから高く評価する。嫌いだから低く評価する。その時点で、すでに公平な判断ではなくなっている。
経営者にとって最も危険なのは、「好き嫌い」で人を使うことだ。好きな人には甘くなる。多少の失敗には目をつぶる。
嫌いな人には必要以上に厳しくなる。良い仕事をしても認めようとしない。これでは組織は決して健全にならない。
社員は実によく見ている。「あの人は社長のお気に入りだから。」「あの人は社長に嫌われているから。」そんな言葉が社内で聞こえ始めたら、組織は少しずつ歪み始めている証拠だ。
本来、人を評価する基準はただ一つである。その人が誠実に仕事へ向き合っているか。責任を果たしているか。周囲から信頼されているか。そこを見なければならない。
私は経営者時代、人事で失敗したことが何度もある。期待し過ぎて失望したこともあった。逆に、「この人は駄目だろう」と思っていた社員が、大きく成長して会社を支えてくれたこともあった。
その度に、自分の人を見る目の未熟さを思い知らされた。だからこそ、一人の印象だけで判断しないよう心掛けねばならない。
一度会っただけで決めない。
一つの失敗だけで見限らない。
一つの成功だけで持ち上げない。
時間をかける。多くの人の意見を聞く。そして最後は、自分の責任で決断する。経営者とは、そういう仕事なのだと思う。
もう一つ忘れてはならないことがある。それは、自分自身もまた誰かから評価されているということだ。社員は経営者を見ている。取引先も見ている。家族も見ている。自分は人を評価しているつもりでも、実は自分自身が評価され続けているのである。
そう思えば、人を見る目も少しは謙虚になる。「私は本当にこの人を正しく見ているだろうか。」そう自分に問い掛けることができる。その姿勢が偏りを少なくしてくれる。
人は誰でも感情を持っている。だから完全に公平になることはできない。しかし、公平であろうと努力することはできる。
私はその努力を続けることが、リーダーの大切な務めだと思っている。君たちも将来、多くの人と出会うだろう。
人を信頼することもあれば、裏切られることもある。人を評価する立場になることもあるだろう。
その時は、自分の好き嫌いではなく、その人の生き方と日々の行動を見るようにしてほしい。
一時の印象は当てにならない。人の本当の価値は、長い時間の中で少しずつ見えてくるものだからだ。
そして最後にもう一つ。人物評価を誤らない一番の方法は、自分自身が常に謙虚でいることだ。「私はまだ人を見る目が十分ではない。」そう思える人ほど、人を正しく見ることができる。
人生も経営も、最後は人で決まる。
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