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試練を乗り越え、生涯現役を貫く

SPECIAL

「信託」活用コンサルタント

株式会社日本トラストコンサルティング

代表取締役 

オーナー社長を対象に、「信託」を活用した事業承継や財産保全、さまざまな金融的打ち手を指南する専門家。経営的な意向と社長個人の意向をくみ取り、信託ならではの手法を駆使して安心と安全の体制をさずけてくれる…と定評。

「不易流行」という松尾芭蕉の俳諧の理念があります。経営者の座右の銘でも見かけますので、普遍の真理かもしれません。一方で、同じ俳諧師でも現代社会にも通じる幾多の試練を乗り越えて生き抜いた人が小林一茶でした。

 

1.家業を継げず、俳諧師となる

「我と来て 遊べや 親のない雀」は小林一茶の代表的な一句です。しかし、この句の背景には一茶の孤独があります。小林一茶が3歳の時に実母が亡くなりました。

8歳の時に後妻が嫁いできましたが、一茶との関係はうまくいきません。10歳で腹違いの弟が産まれ、14歳になると面倒を見てくれていた祖母も亡くなります。

中クラスの農家の嫡男でありながら家庭内で継母との折り合いが悪く、15歳の時に江戸に奉公に出されます。つまり、家業の承継者から外されました。

当時の江戸の奉公生活は超ブラックでしたので、一茶も奉公先を逃げ出します。そして俳諧師として歩み出しました。

地方行脚をしながら実力をつけ、流派の中で確固たる地位を築いていきます。しかし、他の門人の嫉妬などにより流派を離れ、独自の俳風を確立する道を歩み始めます。

本所や両国に住む一茶の巡回俳諧師としての地盤は、主に房総半島方面の巡業です。ただ、経済的な基盤が安定せず、根なし草のように俳諧行脚をする生活は本意ではありません。そして、生活基盤を求めて実父の相続争いへとつながっていきます。

2.小林一茶の相続争い

本業の安定しない一茶にしてみますと、故郷の農業は気になるものでした。いつか故郷に帰ろうと宗門帳に自分の名前を残していたのです。つまり、故郷に生活実態はないが、戸籍や住民票があるような状態です。

一茶は江戸に出ている間、家業である農業は、継母と腹違いの弟の頑張りにより生産高が2〜3倍になっています。一茶が39歳のとき、実父が亡くなりました。遺言は「財産は兄弟で二分する」。

一茶が不在の間に生産高を拡大させた弟からすると、当然に納得がいきません。一方、生活の基盤を欲する一茶としても引くことなど考えられません。それから13年余りも続く、骨肉の争いがスタートです。

この状況は現代の同族会社でも見られる構図ですね。一茶が記録を残してくれたので、当時の相続争いを記した『父の終焉日記』がこの世に残されました。一茶の立場に立った言い分は下記となります。

  • 父は15歳で一茶を江戸に奉公に出した負目があったから二分すると遺言した
  • 農繁期で継母と義理の弟は父親の看病を出来ず、一茶が父の面倒をみた
  • 父と一茶は帰郷して嫁をもらうという話をしていた
  • 北信濃の遺産分割は均分相続が基本
  • 従来から小林家は均分相続だった

実際に田畑を耕していた弟が納得することはなく、単純に二分ではまとまりません。7年後の祖母の33回忌を機会に話し合いが行われますが決着はつかず、実父の13回忌で決着がつきます。

菩提寺のご住職までもが仲裁に乗り出した結果は、一茶が約4割、弟が約6割で田畑を分け、弟が一茶に精算金を払うことでした。今も江戸時代もあまり変わらないですね。もっとも、一茶に農業をやる気は、まるでありませんでした。

 

3.平等と均等

農業は親族に任せて生活のベースとしながら、さらに俳諧師としての経営の地盤を故郷に築いていきます。弟から得た精算金も親族に運用を任せながら、上手に活用しています。さらに、俳諧師として成功し、生涯現役を貫きながら天寿を全うします。

ただ、家族関係は苦労が続きます。二人の妻に先立たれ、その間に生まれた子供4人も早世します。一茶自身も脳卒中で半身不随となり、晩年には自宅を火事で喪失するなど、試練はありました。

生活は安定し、社会的にも成功したけれど、家庭面でも苦労する構図です。しかし、最後の妻との間に娘が生まれ、養子をもらうことで小林一茶の家は今日まで続くことになりました。

本日のポイントは父親の遺言にあります。
「二分する」をどう考えるか、がテーマです。これを弟と「均等に分割する」と考えるか、「公平に分割する」と考えるか、の違いです。

一茶も弟も実の子供ですから、相続する権利としては平等です。しかし、「二分する」ときに、単純に財産を2で割るなら「均等」です。何かの基準を持ってバランスを取るのであれば「公平」です。

「平等に、公平に」というのは、正に言うは易く行うは難し、です。親子、兄弟姉妹といえども、人によって基準や考え方が違うからです。この点は、資産承継に際しては、重要なポイントになります。

 

<まとめ>

松尾芭蕉は生涯独身で過ごしますが、蕉門十哲など門人、後継者に恵まれました。
小林一茶は晩年に子供を授かりますが、門人の中で俳諧師となったものはおりません。

経営者としてみると、松尾芭蕉に分があるよう見えますが、いずれの先人も俳諧師として生涯現役を貫いた、という事実があります。

社長が決めれば基準は一つ、家族が決めると基準は複数。生涯現役を貫くだけでなく、もうひと手間かけて頂くと、家族はさらにハッピーになります。事業の成長と家族の繁栄のための陣形は整っていますか?

 

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