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「仕事ができる」とはどういうことか?を考える―センスを磨くにはこれだ!―

SPECIAL

地方メディアの高度有効活用コンサルタント

株式会社メディアコネクション

代表取締役 

広告分野における地方メディアの高度有効活用を専門とするコンサルタント。東京在住中のマーケティングビジネス経営の経験と地方企業への経営革新支援ノウハウの融合させた、独自の「儲かるための広告戦略」を開発。自らも成功実践事例として、地方メディアを舞台に展開。

最近読んだ『「仕事ができる」とはどういうことか?』という一冊の本。著者は、私が当代きってのインテリジェンスの持ち主と評価している、楠木健氏と山口周氏のお二人。構成としては、全編お二人の対談形式によるものです。

このお二人の対談が面白くないわけがなく、いい意味での突っ込みどころ満載です。それは、新しい切り口に対する驚きと共感、或いはかねて考えていたことの確認やそのユニークな表現への高評価といったことになります。

この本の主要テーマは、突き詰めて言えば「スキル対センス」ということになります。山口周氏には「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?経営における「アート」と「サイエンス」」という著書がありますので、「サイエンス」を「スキル」、「アート」を「センス」と読み替えてもいいかも知れません。

スキル偏重の時代、「仕事ができるために、本当に大事なのは「センス」ではないか」というのが本書の主旨になっています。

このテーマをわかりやすいものにするために、様々な角度から説明が成されていますが、中でも「これだとわかりやすい。」と私が思った事例を、今回はご紹介しようと思います。それは次のようなものです。楠木氏の発言

―例えば国語、算数、理科、社会、こういうのは「スキル」です。「できる・できない」という話。或いは英語をしゃべることができるとか、プレゼンテーションや交渉力とか、ファイナンスの能力とか、法務の知識とか、スキルは他者に容易に示せるんですね。(中略)

これに対して、センスというのは一例でいうと「女性にモテる」。特定の尺度では測れないし、すぐにモテるという状況を見せられるわけでもない。さまざまな要因の総体というか綜合として「モテる」能力があるわけです。―

出ました!男性陣きっての注目要素、「モテる」か否かというテーマ。

これをテーマの事例に持ってこられると、思わず注目の度合いが違ってくることになります。俄然、学習意欲が湧くわけです。(ん?! これは、私だけの現象でしょうか?)

とはいえ、当たり前ですが、この本は「どうやったらモテるか」を解説したものでありません。あくまでも「仕事ができるか否か」が主要テーマです。ただ、「モテる」をサンプルに持ってくれば、男性にとって切実な問題(?)だけに、非常に頭に入りやすくなるわけで、理解度が一気に増す、という現象が期待できます。

もちろん本書の主旨は「どうやったらモテるか」などという卑近なものではなく、「モテる」という現象が「スキル対センス」という対比を説明するのに、どう作用するか、といった角度で取り上げられているのです。

「モテる」に直接行く前に、「スキル対センス」の前哨戦として次のような事例をあげておられます。楠木氏の発言

―スキルは、正しい方法の選択と努力、時間の継続的投入がカギです。ここさえ間違えなければ、間違いなく前より「できる」ようになる。あるところまでは、やればやるほどTOEICの点数は上がるんです。そうすると、それがますますインセンティブやモチベーションになる。

その一方でセンスが厄介なのは、ない人が頑張るとますますヘンなことになってしまうんですね。要するに努力と得られる成果の因果関係がきわめて不明確なんです。洋服のセンスのない人が30万円握りしめておしゃれなセレクトショップに行くと、だいたいひどいことになって出てくる。―

いやはや何ともひどい言い草ですが、おそらくその通りだろうと思います。

私の顧客に、セレクトショップのオーナーがいますが、センスのないお客さんが来店した場合、上記のような「ひどいこと」にならないようにアドバイスした上で、コーディネートまでするそうです。まあとはいえ、そんなサポートがない状態のまま自分で選ばせれば、きっとその「ひどいこと」になるのでしょう。

ファッションと「モテる」の関係には強いものがあります。おそらく、(センスがないにもかかわらず)モテたいという目的で着るものに関して頑張ちゃうと、上記のような悲劇というか喜劇のようなことを引き起こすことになります。

 

つまり、「モテる」を我がものにするために必要なのは、スキルではなくセンスである、というところから話は少し難しくなるのです。

というのは、スキルは学習によって身につけることはできるが、センスはそうはいかないからです。

ところで、スキル偏重の人の中には「分析」が好きな人多い、と二人はおっしゃいます。その点を楠木氏は次のように述べられています。

―分析調査というのは仕事ができない人にとってとてつもない吸引力を持っているんですね。(中略)仕事はできなくても、とりあえずの作業はできる。なんとなく人に見せられる資料という成果物はできる。(中略)こういう「作業の誘惑」ってすごい強いんですね。しかし、それは経営でも戦略でもなんでもない。

初めに話したように、「モテる」、これはどう考えてもセンスとしか言いようがないものですが、会社の中にはすぐに「モテ」を分析しようとする人がいる。―

つまり、センスが必要とされる時代に、スキルによって作業的に行なうことが可能な「分析」などというものは、事業戦略を構築する上ではほとんど役に立たない、ということです。わかりやすく身近な事例として、センスこそが不可欠な「モテる」という状況に対して、スキルの代表のような「分析」を持ってきても、全く馴染まない可能性が高い、ということになります。

 

まあこれは、ちょっと考えればわかる話で、誰もが「そりゃあ「センス」がなければ、女性にモテるわけがない!」という結論に行き着くわけです。にもかかわらず、世の中にはスキルによる分析を駆使することで、「女性にモテる」という成果を手にしたい、という人たちがいるわけでして・・・

「女性にモテるためには・・・」というテーマに、「分析」という手法で取り組んだ結果、いったいどういうことになるのか。

その行き着く先を、楠木氏は次のように述べられています。

― 分析というのは要素分解です。モテを要素分解すると、人事の「スキルフルな人たち」が出てきて、モテる要素を大喜びで測定し、挙句の果てにレーダーチャートみたいなものをつくったりする。世の中よくできていて、この段になると、決まって「こうやったらモテますよ」というスキルめいたものを持ってくるヤツがいる。なるほど、ということで「モテの要素」をすべてマスターする。で、何が起きるかというと、ますますモテなくなるんですね。―

いやはや笑ってしまいました。

確かに「モテる」を分析的に追及して、「スキル」を要素分解して学習すればするほど、「モテる」に必要な「センス」からは遠ざかる、という相反関係が成り立つわけです。挙句の果てに、上記のように、滑稽かつ悲惨な結果に終わってしまうことになります。

これはつまり「モテる」という状況は自然と醸し出されるものであり、「スキル」を磨く際に行なう分析的かつ作業的な行為からは生まれ出てこない、ということになります。ここでは「努力が報われない」という、日本人にとって衝撃的な事実がつきつけられることになります。

 

さて「仕事ができる」を掴むための格好のサンプルが「モテる」には?という命題でした。このモテたいという極めて本能的な衝動に必要な要素が「センス」であり、「仕事がデキる」につながる、というのですから、何とも皮肉な話です。

とにかくここでは「モテるにはセンスだ!」という原理を学習したわけですが、その「センス」とやらが、今回のお二人がおっしゃっているように、なんともつかみがたいモノだったことになります。ただその中で、かなり具体的な手法としてこれかな?と理解したことがあります。

私がつかんだ、センスを磨くために「まずこれだ!」という対象は、アートとファッションです。

わけがわからなくても、音楽でも美術でもいいから、まずはいろいろなアートに触れてみる。それから、今着ている服がダサいのであれば、多少見栄えのいい状況に自分をもっていく。(女性の力を借りるのが手っ取り早い)

こういった具体的な行動を起こすことで、センスを磨くことに少しでも近づく。まずはこのあたりから、手をつけてみてはどうかと自分にも言い聞かせている日々であります。

 

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